音楽とビジネス Vol.5

そして90年代に突入するとJPOPが歴史上最大の市場となりCDのミリオンが連発。
  レコード会社バブルが生まれます。(1998年が最大のピークと言われていますね)

 その先駆はやっぱりユーミンでした。
 私がまだEMIにいた1990年発売の22枚目のアルバム「天国のドア」は初めて200万枚を出荷しました。
 その記念として社員にナンバー入りのゴールドCDが配布されました。
 
 今まで原盤をレコード会社が握っていたのをプロダクション側が持つようになったのも分かりますよね。
  レコード会社としてはせめて50%死守、外部原盤(レコード会社以外が原盤を持つパターン)が増えていきました。
 出版権もどちらが(誰が)持つか問題も。

 しかも力のあるプロダクションはアルバムの制作からCDの完成品まで自社で作り、レコード会社にただ販売を委託するパターンも出てきました。
 企画制作:〇〇プロダクション 販売:△△レコード会社 みたいな。
 
 本当にクリエイティブに音楽を作りたいならプロダクションに行った方がよい、と実際に移籍する人もいました。

 力のある(売れる)プロダクション相手となると予算管理や社内調整に徹する仕事がほとんどとなり、メーカーのA&Rディレクターという名刺が虚しく感じることもありました。
 もっともそのころは自分がペーペーということもあったでしょうが。